私が幼少の頃、家には既にゲーム機がありました。ファミコン、PCエンジン、メガドライブ等です。私はゲーム音楽に親しみながら育ちました(ゲーム音楽以外にも影響を受けた音楽は沢山あります)。そして、小学校中学年頃から、私は頭の中で曲を作るようになりました。しかし、それを表現する方法(鼻歌を除く)がありませんでした。
しばらく時は流れ(今から6,7年程前)、有志がファミコンやMSX等の音源で作った音楽の存在を知り、私は興味を持ちました(当時はchiptuneという言葉を知りませんでした)。それがきっかけとなり、曲を作りたいという欲求が高まっていきました。そして今から5年前、やっと(データとして残る形で)曲を作る環境を準備し始めました。しかし、私はファミコンの音源で曲を作る環境になかなか手が出せませんでした。そこで、最初は主にピストンコラージュを使っていました。波形メモリ音源とPCM音源を使って作曲するような感覚で、とても気に入りました。Famitrackerの存在を知ったのは、それからしばらく後のことです。NSF出力でき、かつ直感的に曲を打ち込めるところに魅力を感じました。
私は音楽知識に乏しく、自分が考えたメロディを形にする、ということすらなかなかできませんでした。最初の頃は、ある程度偶然性に頼った曲を作っていました。長いフレーズは思いついても形にすることは困難でした。それを克服するための練習の一つとして、耳コピも行いました。耳コピと言っても、一音一音確かめながら打ち込んでいく作業でした。しかし、既存の曲がどのように構成されているかを知る、良い勉強になると感じました。
脳内で考えた曲を形にする上で難しいと感じたのは、整合性を取ることです。頭の中では自然に感じていた曲でも、いざ打ち込んでみると、響きがおかしかったり、メロディが上手くつながらなかったりすることが多々あります。また、作った曲を何度も聴いていると、不自然な部分に違和感を覚えなくなりがちだということにも気付きました。
自分の作りたい曲を思い通りに作れた、と強く感じたのは、ニコニコ動画にも投稿した「乾いた町」という曲が最初でした。もちろん、それまでの曲も作りたいものを作った結果生まれたものです。自分が考えた曲の中で、具体的に形にできる範囲が広がってきたのです。以前は作りたくても作れなかった曲が、少しずつ慣れてきたことにより、作成可能になってきたということです。それは曲を作ることへの慣れでもあり、作曲ツールへの慣れでもあります。
私はまだまだ不慣れな素人です。自己満足としての側面が強いですが、今後もこの活動を続けていくつもりです。
(追記)
GBC用のゲームソフト「携帯電獣テレファング」(2000年11月3日発売)には、着メロ作成機能がありました(単音でしたが)。私は当時その機能で遊んでいました。ゲーム本編と同じくらい時間をかけていたような気がします。私が本当に初めて曲を作ったのは、2000年……といえるかもしれません。まあ、そういう珍しいゲームもあったなあ、という話です。